2026-6-11

秀吉を学ぶなかで以前から大きな仮説を持っていました。
「秀吉は身分制度の緩やかな解体を目指していたのではないか」、
そんな夢想はその道の専門家には鼻で笑われる様な仮説です。
宿敵柴田勝家を賤ヶ岳に倒し、天下を手中に納めた秀吉は、1585年、禁中大茶会を相当な覚悟を持って進めました。
それまで茶会を禁中でやった前例はなく、様々な障壁がありましたが、秀吉は押しきる形で実施します。
茶の湯がいわば禁中御用達になった瞬間でした。
さらにその三ヶ月後にも、黄金の茶室を用意して二度目の禁中茶会を開くのです。
そもそも茶の湯の大流行期に当たってはいましたが、武家、商家の嗜み。
皇室筋からすれば、俗なものとの認識が在った時でした。
天皇という最高の権威を茶の湯は備え、さらには天皇にお点前をした秀吉は日本一の茶の湯大名人になったのです。
その一年後、秀吉は「北野大茶会」を企画します。
茶の湯好きであれば、侘び者、つまり貧乏であれ賤しいものであれ、外国人であれ参加せよ。
茶席を設けたい者は、二畳の空間に例えござ敷でもよい、設けよ。
侘び者には秀吉、或いは利休等が茶を点ててあげよう。誰に当たるかは籤で。
天下人関白秀吉が、大名物の茶器でお茶を点ててくれる。そんな夢のような企画。
戦国時代、いのちの保証すらなく貧のどん底にいた庶民にとって、耳を疑う告知だったと思います。
秀吉の理想は、貴賤同座の実現にあったのだと思います。
天皇への呈茶で晴れて貴の世界観を纏った茶の湯。
次にその茶の湯を、庶民の楽しみへと思いを差しのべる。
正に身分融和への大きなロマンをそこに、感じます。
秀吉はその10年後に薨去。
豊臣はさらに20年もしない内に滅亡し、時代は徳川によって徹底した封建主義へと向かいました。
果たして秀吉の夢は何処に向かうものだったのか?。
時にワインを傾けながら夢想に遊ぶのです。
南魚沼は万緑、翠の雫に包まれています。
渡欧までの数日。日本の穏やかな風に身を任せる贅沢を味わうことにします。
では、今日も一日ガンガン学びましょう。
投稿者: syworks 日時: 2026-6-11 | パーマリンク