Q1.
「茅乃舎」の立ち上げに
至った経緯とは?
OEM事業頼みの経営を続けていれば、いつ何時立ち行かなくなる日がやってくるか分かりません。
価格決定権がないことも不安を募らせていました。
いつ他社に乗り換えられるかもしれないという焦りの中、オリジナル商品への思いが日増しに強くなり、新しいブランドへの挑戦を思い立ちました。
判断の基準にしたのは「永続」。
短期決戦ではなく、社会の変化に適応して安定して利益を上げ続け、組織を未来へ引き継ぐ体制を築けるかどうかを物差しとしました。
そのためには、目の前の利益を追うのではなく、お客様との信頼関係をしっかり作っていくことが優先。
結果はあとからついてくればいいという思いの元、手探りの状態でしたが、OEMからの脱却に舵を切りました。
Q2.
「茅乃舎」立上げ当時の
未来像は?

当時も今も、社会になくてはならない存在を目指しています。
「このブランドがなくなったら困る」「このブランドがなければ我が家の食卓は成り立たない」と思っていただけるような存在。
そのためにはどんな努力も惜しまない。
味や質に妥協したり手を抜いたりすることなく、ものづくりに真摯に向き合い、徹底的にこだわった者だけが、多くのお客様から信頼を勝ち得るブランドとして残っていくとの考えは今も変わっていません。
Q3.
S・Yワークスを選んだ
理由は?
コンサルティング会社には専門的な知見だけでなく、客観的な分析に基づいたアドバイスを得られるなどの利点があると思っています。
“業界の常識”といった既成概念にとらわれずに課題を分析し、新鮮な視点でアイデアや解決策を示してもらえることもありがたかった。
手探りでブランドの方向性を探りつつあった時期に勉強会に招かれ、いろんな事例に触れる中で、コンサルタントと協業することのメリットに気がついていきました。
Q4.
ゼロから始める
プロセスにおいて
最も
重要視されていた事は?

ブランドビジネスとは、ブランドの価値を高めることによって他社と差別化することだということです。
味だけではなく、パッケージやカタログ、店構えや接客に至るまで、すべてのことに気を配らなければならない。
福岡県の山里に『御料理茅乃舎』をオープンさせた時、ビジネスの王道とは真逆の立地に、多くの人が首をひねりました。
しかし、私はブランドとは「驚き」だと考えていました。
ここに向かう道中、初めての方は誰も、こんな山あいの鄙(ひな)びた場所にレストランが立地しているとは思いません。
不安な気持ちが耐え切れなくなったころ、パッと開けた先に大きな茅葺き屋根の建物が出現する。
その驚きが人の心を揺さぶる。
「まさかこんなところに店があるなんて!しかもこの大きさは何だ!」
怪訝な気持ちからの揺れ幅に、人々は愕然とし、興奮が呼び起こされるでしょう。
これが、通常ありがちな小さな料理店であれば、立地の意外性に感じ入ることはあっても、目的地に到着した安堵感のほうがまさるに違いありません。
ところが、あの威容が突然目の前に現れるからこそ、人は驚き、感動すると考えました。
私がいつも従業員に促しているのは、五感を磨くこと。
従業員の感性が鈍ってしまっては、驚きや感動は生まれません。
従業員一人ひとりの美意識が、とりもなおさず久原本家グループのブランド力であることを社内に訴え続けています。
Q5.
S・Yワークスが
ご提供できた価値とは?
振り返ってみると、当時の企業規模からして、よくもこれだけのプロジェクトに着手できたものだと感慨深いものがあります。
『御料理茅乃舎』を開業したのは50歳の時。
今考えるとさまざまなリスクが潜んでいましたが、なんとか軌道に乗せることができたのはコンサルティング会社の支えがあったからだと感謝しています。
S・Yワークス様との出会いがなければ、『茅乃舎』というブランドはありませんでした。
信頼できるコンサルティング会社とご縁をいただいたことが、「永続」を目指す弊社の原動力となっています。
“Interviewee
株式会社 久原本家様 「事業概要」
明治26年、福岡県久原村(現在の久山町)創業、醤油醸造業を立ち上げたのが始まり。
後にOEM事業に参入後、福岡名物の明太子を製造。
久原醤油より発売した『キャベツのうまたれ』が大ヒットし、ご当地調味料として話題になる。
平成17年、久山町の里山にレストラン『御料理茅乃舎』を開業。
ここでの味を再現した『茅乃舎だし』に反響があり、現在では国内34の店舗を構えるほか、海外にも拠点を設けている。
令和元年には北海道に進出し、恵庭市に工場も建設。
良質な原材料を求め、おいしさを追求することで、多くの人に感動を届けるモノづくりを目指している。
