おはよう。昨日の78回目の終戦記念日。
南洋からの台風は、きっと慚愧の思いに咽び泣く英霊たちの声も烈風の中に、運んできてのだろうと思います。
昭和20年8月15日まで悠々と続いてきた時間と、それから78年の時間の不整合。
誰も、戦争を肯定するはずもなく、ここからの未来においても戦争など望むべくもない。
その事と、大東亜戦争に向かう要因を同軸上に敢えて置こうとする左派勢力の扇動に、如何に論理的に反論しうるか。
正しい歴史観と、真実を観る眼の養生が未来への恩送りになるのだと、今年も強く思いました。
何としても、第二次世界大戦に参戦したかったルーズベルト。
アメリカをヨーロッパ戦線に引きずり込みたかっチャーチル。
日本を孤立化させることを国家戦略とした蒋介石。
ナチスドイツとの闘いで国家存亡の危機にあったソ連スターリンは、全力を挙げて日本のアメリカ攻撃への布石を打ち続けました。
日本はそんな世界の構図に、迂闊にも乗せられていた。それは、真実としていまこの時代に明らかになっています。
あの時の政治家たちの罪は、情報戦を軽んじ世界の思惑に余りにも鈍感だったこと。
結果、引き摺られるように大東亜戦争に向かったことにあります。
とは言え、そんな国家の危機に日本人は果敢に立ち上がった、その真実には敬意を表しなければならないと思うのです。
特攻隊にしても、ただ狂信的な思いで発進したわけでもなく、南洋の孤島で絶望だけを胸に日本兵は玉砕した訳でもない。
未来の私たちを心に描き、何かを、何らかの思いを託していたのです。
その声に耳を澄ますことなく、大東亜戦争から目を反らす在り方は、正しくない。そう断言できます。
昨日の黙祷の時間にどうあったかという以上に、そんな思索をとことん大切にして欲しいと願います。
よろしくお願いしますね。
では、今日も一日ガンガン学びましょう!。