2022-9-8
今日の一言 09.08
おはよう。今朝の一言です。
労働とは苦痛なのか、喜びなのか。その自問から、マルクスの煩悶は始まったと思います。
誰かの喜びを創出するのが仕事であれば、喜びに違いない。
しかし、単に賃金を得て、生きる手段としての仕事なのであれば、苦痛に違いない。
なぜ、人間の喜びであり個性の発露であるはずの労働が苦痛へと堕落したのか。
それは、労働が時間を切り売りする、一個の商品に成り下がったからだ。
資本主義の罪は、そこにある。この論理は、21世紀の今こそ問われるものであると、実感します。
非正規雇用法が成立する前夜、セミナーの場で、その非をとことん説いていました。
組織に帰属せず、単に時間を、つまり命を賃金と交換する営みは、やがて命の意味さえ喪失させると直感したからです。
組織にとって、非正規社員は、単に人件費のバッファーにすぎず、資本の好き勝手に、その立場は流動化する。
あれから20年。働く意味と、命の意味を見失った時間が、人間の本性を傷つけてきたのだと強く思います。
人間にとって、働くとはどんな意義があるのか。正面から論じるべき時に私たちはいます。
今日の哲学研究会も出席率は9割りとの事。
リアルの中で、人間存在の意味を考え、未来を洞察しようとする魂が集まります。
心を籠めて、人間の本性を語る一日にしますね。後方支援、よろしくお願いします。
では、今日も一日ガンガン学びましょう。
投稿者: syworks 日時: 2022-9-8 | パーマリンク