2022-8-16
今日の一言 08.16
おはよう。今朝の一言です。
帰国してから五日間。ようやく体力も戻って、さてさてと、ウエイトトレーニングを少しずつ再開したり、庭のブルーベリーを収穫したり。
何より、読書に二時間没頭しながら、魂が太平洋を悠々と超えて、この身体に納まる感覚を持てました。
我が魂は、なかなかジェット機の速度に着いてくることは難しいらしく、随分と遅れて母国に到着します。
心はここにあるが、魂は未だ我が身に納まらず。そんな言葉を呟きたくなります。
終戦の日。
幼い頃の日暮れ時、時空を超えて細波のように故郷を目指してくる亡き英霊の囁きを聴くことが幾度かありました。
それは、決して恐さや、感傷ではなく、心に届き、魂を揺り動かす懐かしさを感じる囁きだったと思います。
未だ戦いの記憶を世の中が鮮明に宿しているときで、テレビでは軍歌特集が各局ゴールデンタイムに、流れていたものです。
庭先で焚かれる迎え火やお盆灯籠の揺らめきは、過去の迷宮への入り口の様で、遠くから聞こえてくる軍歌の節々を口ずさんでいると、確かな囁きが聞こえてくるのです。
あんなことがあった、こんなことがあった。皆は元気か、かわりはないか、達者でいるか。
切ないような、溜め息。それは、幻想であったのかもしれません。
でも確かな記憶として残っています。
社会が戦争の記憶を喪失し、戦いを生き抜いた人々が鬼籍に入り、建前としての平和が譫言のように繰り返される中、そんな囁きも消えていったように、思えます。
平和の尊さ、戦いの無惨さ、この今戦争を誰も望まない。
しかし戦争は、人間の良心や願いの壁を瞬時に破壊し、虚ろな正義として津波の様に立ち上がってくるもの。
だからこそ歴史に学ばなければならないのです。
何が人間の正気を奪い、虚ろな正義の仮面はどこから生まれてくるのか。戦いとは何か。
我が身に納まった魂は、太平洋の大空を西へ西へと向かう旅の途上、沢山の英霊の魂と出会った事でしょう。
しばし、その伝言に耳を澄ませたいと、思います。
では、今日も一日ガンガン学びましょう。
投稿者: syworks 日時: 2022-8-16 | パーマリンク