おはよう。今朝の一言です。
今年の折り返し、そしてSY第18期第一四半期の締め括りの一日です。
暦は、今から5000年ほど前のエジプト文明によって365日の暦法が作られました。
それをカレンダーにしたのは、グレゴリオ暦を定めたローマ教皇。16世紀の終わり頃でした。
もちろん暦、そしてカレンダーの発明は人間だけがもつ未来思考からでしょう。
時間は流れていくのか、積み重ねられていくのか。そんな意味の無い思索に耽ったのは10歳の冬でした。
この今の、この今は何処に行くのか。そもそも今など無いではないか?。
今と認識した瞬間にその今は、既に過去になっている。とすれば私たちには、過去と未来しかない。
では、この今ここにいる私は何なのか。実際に、存在しているのか?。
まあ!、そんなどうでも良いことをぶつぶつ言ってないで、勉強しなさい!。
母への問いかけは、あっさり粉砕されましたが、その時の思索はこの歳になっても、人財化セミナーに繋がっています。
未来の通過点であった今日は、望んでいた今日になっていますか?。
カレンダーを眺めて、希望を思い描いたこの今に、現実は追い付こうとしていますか?。
そもそも、今日という日をどんな希望色に染めていたか、覚えていますか。
人間は未来を造るべく日々を生きているのだと、思います。
暇があれば、スケジュール表を見つめていると、よく笑われますが、手元に何時もあるスケジュール表は、正に自分の未来の人生そのもの。
穴が開くほど見詰めて、行間数ミリの未来の一日に、心を馳せる事は人生を創造していることなのだと、思っています。
カレンダーは、正に未来予想図。何時もの問いかけですが、どの季節まで描けていますか。
予想図があるから修正の悩みも達成の喜びもあるもの。
漫然と過ごすことは、人間にとっての罪だなあと思うのです。
では、今日も一日ガンガン学びましょう。